湯(ゆ)氏 宇多源氏 近江佐々木氏族 出雲佐々木氏 出雲國湯氏
湯氏は宇多源氏佐々木氏の一族である。出雲守護 佐々木義清の孫 佐々木頼清が出雲国仁多郡湯村を領し、地名に拠って湯氏を称したのがその始まりといわれる。 湯 頼清 (ゆ よりきよ)
永正の頃の泰敏は尼子経久に仕え、その子が湯信濃守惟宗である。 湯 惟宗(ゆ これむね)は、尼子晴久・義久の二代に仕えた。天文八年八月の毛利元就攻撃に参陣し、永禄元年五月の小笠原応援軍にも加わり、石見出羽表において吉川軍を破る功を立てている。
毛利元就が出雲侵入して白鹿城を攻めると、尼子義久は応援軍を派遣、惟宗はこの軍に加わって出陣した。この合戦は『雲陽軍実記』にその激戦ぶりが描かれている。


宇多天皇 ━ 敦実親王 ━ 雅信 ━ 扶義 ━ 成頼 ━ 章経 ━ 経方 ━ 秀定 ━┓
(第五十九代) ┃
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佐々木秀義
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佐々木義清(隠岐守) 高綱(四郎) 定綱
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佐々木政義 佐々木泰清 (佐々木七郎頼清 初代湯氏 玉造城城主)
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隠岐時清 塩冶頼泰 富田義泰 湯 頼清 高岡宗泰 古志義信
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宗清 貞清 師泰 末次胤清 泰信(十郎)信清 宗義 宗信
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清高 秀清 清顕 高貞 時綱 (三郎左衛門)公清 ━ 雅清 師泰 高雅
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重清 師清 通清 (湯四郎)公明 公綱(信濃守) 義宗 重宗 直宗
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頼清 満通 (富士名三郎)信綱 政道(湯与四郎) 高重 國宗
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高清 誠勝 易勝 高忠(湯彦五郎) 宗惟
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泰道 泰重(播磨守)
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泰盛 泰守 泰敏(美濃守)
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(佐渡守)家綱 泰家 惟宗(信濃守)
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ゆ たねむね(湯七郎左衛門尉)子宗 永綱(湯三郎左衛門尉)
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正継 子義 (湯縫殿助)子正 茲矩(湯新十郎) 幼名国綱 之子
(谷武兵衛)(谷彦市)┏━━━━┳━━━┫ 龜井茲矩
継良 子次 子長(湯新兵衛)
(草川内記) (湯杢之助) ┃
惟宗(信濃守)
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(湯七郎左衛門尉)子宗 永綱(湯三郎左衛門尉)
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正継 子義 (湯縫殿助)子正 茲矩(湯新十郎) 幼名国綱 之子
(谷武兵衛)(谷彦市) ┏━━━┳━━━┫ 亀井茲矩
継良 子次 子長(湯新兵衛)
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次則 正光 元次 正辰 正山(湯新兵衛) 長䧺
(湯作之進) (津和野藩家老) ┃ ┃
(亀井茲親の命により正山の後継となる)子為 → 子為(湯新兵衛) ∴故あり
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(湯縫殿助)子普 子顕(湯新兵衛)
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(兄子重の養子となる)子文 眞衡 子重(湯新兵衛)
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┗━ → → → → 子文(湯友之丞)
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子展(湯新兵衛)
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(湯多膳)子諒(馬場半兵衛政利二男)婿養子 初定次郎(文化六年生)
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(新兵衛)子温(小柴源太兵衛義道三男)幼名鉄之助(天保六年生)
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(早世)子男 子昌(初代津和野町 町長)
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子義(ゆ たねよし)
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畧
石見国(島根県)津和野藩の湯(ゆ)氏は、非常にユニークで重要な立ち位置にある一族です。
実は、津和野藩主である亀井氏の「本家(実家)」にあたり、藩内では藩主の同族・藩主家の一門、あるいは特別な「客分(高位の家臣)」として重きをなしました。
湯氏の歴史と津和野藩における位置づけについて、分かりやすく解説します。
1. 湯氏の出自と戦国時代
湯氏はもともと、宇多源氏・近江佐々木氏の流れをくむ名門で、出雲国(島根県東部)の在地領主でした。出雲の玉造(現在の松江市玉湯町周辺)や仁多郡湯村を本拠とし、戦国時代には出雲の戦国大名・尼子(あまご)氏に有力な家臣として仕えていました。
しかし、尼子氏が毛利元就によって滅ぼされると、湯氏の一族も流浪の身となります。
2. 藩主・亀井家との深い関係
ここで、のちに津和野藩主となる亀井茲矩(これのり)が登場します。
- 茲矩はもともと「湯氏」だった 初代藩主となる亀井茲矩は、実は湯永綱の長男として生まれ、若い頃は湯新十郎(または湯国綱)と名乗っていました。つまり、津和野藩主・亀井家の血統は、元を正せば「湯氏」なのです。
- 亀井姓への改姓 尼子氏の再興を目指して山中鹿介(幸盛)らと共闘する中、茲矩は鹿介の差配によって、尼子氏の筆頭家老だった名門・亀井氏の娘を娶り、その名跡を継ぐことになりました。これにより「湯」から「亀井」へと姓を改めたのです。
3. 津和野藩における湯氏の立場
亀井茲矩は豊臣秀吉、徳川家康に仕えて因幡国鹿野藩(鳥取県)の大名となり、その息子の亀井政矩の代(1617年)に石見国津和野藩(4万3,000石)へと国替えになります。
この際、茲矩の「湯氏」としての実家の一族や、出雲時代からの同族たち(出雲衆)も一緒に津和野へ移り住みました。
- 一門・客分としての優遇 藩主・亀井家にとって湯氏は「実家の本家」にあたるため、臣下でありながらも極めて高い敬意を払われました。藩の記録(分限帳など)では、湯氏は「客分」として扱われたり、「上士(高級武士)」の座を与えられたりしています。
- 藩政の要職を歴任 湯氏の一族(湯新兵衛の系統など)は、津和野藩の家老や一門の重臣として藩政の枢軸を担い、幕末まで亀井家を支え続けました。
一言でまとめると 津和野藩の湯氏は、**「藩主・亀井氏の本来の生家・同族」**であり、尼子氏の遺臣として苦難を共にした絆から、藩内では格別の高配(客分や家老職)をもって待遇された名門一族です。
参考リンク
0.宇多源氏
1.湯氏
2.湯 惟宗 (ゆ これむね)
3.湯氏
4.玉造要害山城
5.湯氏
6.玉造要害山城
7.湯 玆矩 (ゆ これのり)
8.玉造要害山城
9.玉造要害山城
10.玉作湯神社
11.尼子
12.佐々木氏族 湯氏
13.亀井氏 湯氏
14.湯新十郎 亀井茲矩
15.亀井茲矩 湯新十郎
16.湯新十郎 亀井茲矩
17.亀井新十郎
18.亀井氏
19.出雲源氏
20.出雲佐々木氏
21.尼子氏 武将
22.出雲・玉作遺跡資料館
23.湯氏
24.湯氏-朝山氏一族
25.布志名氏
26.出雲源氏
27.湯・拝志郷・佐世郷について(中世)
28.富士名判官
29.富士名 雅清 正四位
30.鳥取、鹿野、亀井
31.亀井玆矩
32.竹矢公民館だより
33.近江源氏佐々木氏流 湯氏系図
34.戦国武将 湯氏
