湯氏 ー 近江佐々木氏流


湯(ゆ)氏  宇多源氏 近江佐々木氏族 出雲佐々木氏 出雲國湯氏


 湯氏は宇多源氏佐々木氏の一族である。出雲守護 佐々木義清の孫 佐々木頼清が出雲国仁多郡湯村を領し、地名に拠って湯氏を称したのがその始まりといわれる。 湯 頼清 (ゆ よりきよ)
 永正の頃の泰敏は尼子経久に仕え、その子が湯信濃守惟宗である。 湯 惟宗(ゆ これむね)は、尼子晴久・義久の二代に仕えた。天文八年八月の毛利元就攻撃に参陣し、永禄元年五月の小笠原応援軍にも加わり、石見出羽表において吉川軍を破る功を立てている。
毛利元就が出雲侵入して白鹿城を攻めると、尼子義久は応援軍を派遣、惟宗はこの軍に加わって出陣した。この合戦は『雲陽軍実記』にその激戦ぶりが描かれている。


 【中世】 湯氏 布志名(富士名)氏

 中世の湯郷は出雲国衙在庁官⼈筆頭の勝部宿祢領であったが、東国御家⼈中⼼の鎌倉幕府の⽀配下で⽣き残りを図るため、出雲国守護佐々⽊泰清の⼦七郎頼清を婿養⼦に迎えた。系図上で頼清の⻑⼦とされる⼋郎(次郎ヵ)宗清の⼦が後醍醐天皇の興脱出を助けた布志名判官である。
 頼清は徳治⼆年(1307)⼗⽉に57才で死亡しており、建⻑三年(1251)⽣まれとなる。弟の⾼岡⼋郎宗泰が建⻑七年の⽣まれなので、問題はない。宗清は系図⼀本に⽂永⼋年(1271)に⽣まれ、正平⼗⼆年(1357)に死亡したと記され、⼋⼗七才まで⽣きたことになる。⽂永⼋年⼗⼀⽉時点の湯郷と拝志郷の地頭は「⼤⻄⼆郎⼥⼦」で、佐世郷地頭は「湯左衞門四郎」である。
 ⼤⻄⽒と湯⽒はともに勝部宿祢⼀族であった。「⼤伴⽒系図」によると湯左衞門清綱は承久の乱後の勝部宿祢⼀族の惣領となった元綱の養⼦となってその所帯を譲られた。元綱は勝部宿祢⼀族中の元宗(⼤原郡)系惣領朝⼭惟綱の弟であったが、勝部宿祢惣領某(神門郡系)と兄惟綱が承久京⽅により所帯を没収されたことにより、勝部宿祢全体の惣領となった。それに伴い、それまでの所領佐世郷を養⼦清綱に譲った。佐世郷は元宗系にとっての本領であった。
これに対して湯郷と拝志郷も元宗系の本領であったが、⽂永⼋年⼗⼀⽉の直前までは出雲⼤社神主(惣検校)となったこともある内蔵孝元が地頭であった。その所領が没収され、本主である元宗系の⼤⻄⼆郎⼥⼦に返された形となった。承元⼆年に内蔵資忠の⼦孝元が出雲⼤社権検校に補任された際に、出雲国内数ヵ所の地頭に補任されているが、その中に国富郷・湯郷・拝志郷が含まれていた。⼤⻄⽒については、承久京⽅により所帯を没収された⼤⻄庄司がいた。元宗系の⼈物であったと思われ、「⼤⻄⼆郎⼥⼦」もその関係者である。
 宗清は頼清が湯⽒に養⼦に⼊る前に⽣まれた⼦である可能性が⼤きい。これに対して養⼦に⼊ってから⽣まれた弟三⼈に三ヶ所の所領が分割して譲られた。湯郷は⼗郎左衞門尉泰信に、拝志郷は五郎泰秀に、佐世郷は七郎左衞門尉清信に譲った。泰信については系図⼀本に⽂永⼗年の⽣まれとされ、この時点では頼清が養⼦に⼊り、湯⽒⼥⼦との間に⼦が⽣まれていたことになる。
 宗清には嫡⼦⼆郎左衛門貞宗がいた。従五位上への昇進と隠岐守への補任は、弟雅清の後醍醐天皇への貢献によるものだろう。建武政権下で隠岐守に補任されたのは塩冶⾼貞であるが、南北朝の動乱で⾼貞が⾜利尊⽒⽅となったことにより、南朝は貞宗を新たに隠岐守に補任したのだろう。従五位上も弟雅清の従五位下を上回るものである。『群書類従』所収の佐々⽊⽒系図では宗清は「⼋郎」となっていたが、別本の「⼆郎」が正しく、その嫡⼦は「三郎左衞門尉雅清」ではなく、⼆郎左衛門尉貞宗であった。布志名判官雅清は布志名⽒の庶⼦であったのである。
 雅清は建武政権下で若狭国守護に補任されたが、系図⼀本が記すように、建武三年正⽉の京都での戦いで戦死し、その⼦「布志那⼆郎光清」が武者所の五番にみえている。群書類従本佐々⽊系図では光清を「三郎左衞門尉、出⽻守」とする。雅清の嫡⼦であれば「三郎」であるが、布志名⽒の惣領ならば「⼆郎」となる。光清のその後の消息は不明であるが、動乱開始の早い時点で死亡したと思われる。
 その後、永和元年(1375)には⼭名⽒惣領師義(以前の記事では時義としたが訂正)の但⾺国守護代として、「布志名」がみえる。翌⼆年には師義が死亡して、弟時義が新たな⼭名⽒惣領となるが、⾄徳⼆年には⼭名⽒惣領時義の執事として「布志名殿」=「前越前守宗清」=「善勝」が登場する。次いで応永⼗年には⼭名⽒の備後国守護代として「佐々⽊筑前⼊道」=「善円」がみえる。両者の花押は似ており、後者も布志名⽒であろう。南朝⽅であった布志名⽒は光清の死後も伯耆国名和⽒と同様南朝⽅であり、観応の擾乱期には反幕府⽅として出雲国に勢⼒を伸ばした⼭名⽒と結んだ。そして⼭名⽒が貞治⼆年(1363)に幕府に復帰し、京極⽒が出雲国守護となると、⼭名⽒領国へ移住し、時⽒の死後は後継者師義の但⾺国守護代に、その死後は新惣領時義の執事として仕えた。
 雅清の法名は「覚信」で、兄貞宗の法名は「明円」である。雅清の⼦光清は⽗の死により若くして後継者となったが、本⼈もその後まもなく死亡し、その⼦は無かった可能性が⼤きい。
⼀⽅、兄貞宗の⼦には宗信と宗具(貞)がいた。⼭名⽒領国へ移住した後の布志名⽒として⾒える「宗清」と「善円」は雅清-光清ではなく、兄貞宗(明円)の末裔であろう。布志名の地にある臨済宗明国寺も貞宗(明円)にちなむものである。

剣花菱
花輪違い

  宇多天皇 ━ 敦実親王 ━ 雅信 ━ 扶義 ━ 成頼 ━ 章経 ━ 経方 ━ 秀定 ━┓
(第五十九代)                              ┃
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  佐々木秀義
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  佐々木義清(隠岐守)    高綱(四郎)   定綱
    ┣━━━━━━━━┓
  佐々木政義    佐々木泰清   (佐々木七郎頼清 初代湯氏 玉造城城主)
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  隠岐時清     塩冶頼泰 富田義泰      湯 頼清       高岡宗泰 古志義信
    ┃        ┃   ┣━━┓      ┣━━━━┓    ┃   ┃
   宗清       貞清  師泰 末次胤清   泰信(十郎)信清   宗義  宗信
┏━━╋━━┓  ┏━━┫             ┃    ┃    ┃   ┃
清高 秀清 清顕 高貞 時綱     (三郎左衛門)公清 ━ 雅清   師泰  高雅
┃     ┃     ┃          ┏━━┫ (富士名義綱) ┣━━┳━━┓
重清    師清    通清    (湯四郎)公明 公綱(信濃守)   義宗 重宗 直宗
       ┃     ┃          ┏━━┫            ┃  ┃
      頼清    満通  (富士名三郎)信綱 政道(湯与四郎)     高重 國宗
             ┃     ┏━━━┳━━━┫               ┃
            高清    誠勝  易勝  高忠(湯彦五郎)        宗惟
                       ┏━━━┫
                      泰道  泰重(播磨守)
                   ┏━━━┳━━━┫
                  泰盛  泰守  泰敏(美濃守)
                   ┏━━━┳━━━┫
             (佐渡守)家綱  泰家  惟宗(信濃守)
                           ┣━━━━┓
           ゆ たねむね(湯七郎左衛門尉)子宗   永綱(湯三郎左衛門尉)
           ┏━━━┳━━━━━━━━━━━┫    ┃
          正継  子義    (湯縫殿助)子正   茲矩(湯新十郎) 幼名国綱 之子
       (谷武兵衛)(谷彦市)┏━━━━┳━━━┫       龜井茲矩
                 継良   子次  子長(湯新兵衛)
               (草川内記) (湯杢之助) ┃
     
                          惟宗(信濃守)
                           ┣━━━━┓  
                 (湯七郎左衛門尉)子宗   永綱(湯三郎左衛門尉)
           ┏━━━┳━━━━━━━━━━━┫    ┃ 
          正継  子義    (湯縫殿助)子正   茲矩(湯新十郎) 幼名国綱 之子
       (谷武兵衛)(谷彦市)  ┏━━━┳━━━┫       亀井茲矩
                  継良  子次  子長(湯新兵衛)
         ┏━━━┳━━━━┳━━━━┫    ┣━━━━━━━━┓
        次則  正光   元次   正辰  正山(湯新兵衛) 長䧺
      (湯作之進)  (津和野藩家老) ┃   ┃  
   (亀井茲親の命により正山の後継となる)子為 子為(湯新兵衛) ∴故あり
                           ┃
                     ┏━━━━━┫
              (湯縫殿助)子普    子顕(湯新兵衛)
               ┏━━━━┳━━━━━━┫
   (兄子重の養子となる)子文   眞衡     子重(湯新兵衛)
               ┃            ┃
               ┗━ → → → →  子文(湯友之丞)
                           ┃
                          子展(湯新兵衛)
                           ┃
                     (湯多膳)子諒(馬場半兵衛政利二男)婿養子 初定次郎(文化六年生)

                           ┃
                     (新兵衛)子温(小柴源太兵衛三男)幼名鉄之助(天保六年生)
                       ┏━━━┫
                  (早世)子男  子昌(初代津和野町長)
                            ┃
                          子義(ゆ たねよし)
                           ┃
                           畧


その他の参考リンク

0.宇多源氏

1.湯氏

2.湯 惟宗 (ゆ これむね)

3.湯氏

4.玉造要害山城

5.湯氏

6.玉造要害山城

7.湯 玆矩 (ゆ これのり)

8.玉造要害山城

9.玉造要害山城

10.玉作湯神社

11.尼子

12.佐々木氏族 湯氏

13.亀井氏 湯氏

14.湯新十郎 亀井茲矩

15.亀井茲矩 湯新十郎

16.湯新十郎 亀井茲矩

17.亀井新十郎

18.亀井氏

19.出雲源氏

20.出雲佐々木氏

21.尼子氏 武将

22.出雲・玉作遺跡資料館

23.湯氏

24.湯氏-朝山氏一族

25.布志名氏

26.出雲源氏

27.湯・拝志郷・佐世郷について(中世)

28.富士名判官

29.富士名 雅清 正四位

30.鳥取、鹿野、亀井

31.亀井玆矩

32.竹矢公民館だより

33.近江源氏佐々木氏流 湯氏系図

34.戦国武将 湯氏